競馬が最高の趣味である理由
- 単純明快
- 奥深い
- エキサイティングである
- 芸術的である
- ひとりで、どこでもできる手軽さ
①単純明快
引用:https://www.pakutaso.com/
競馬は何より単純明快な趣味である。なにせ、馬に人が乗って、一番早く駆け抜けるというだけのものである。誰かが妨害してよいとか、オフサイドとか、インフィールドフライとか、そう言った小難しいルールはない。(勿論、騎手間には鞭の回数や、進路などのルールはある)
それ故、馬券を勝って(買わなくても応援する馬を決めて)レースを観戦すれば簡単に感情移入できる。馬場にいって観客を見れば解るが、サッカーのサポーターのように申し合わせて、競技場にきて応援しているという形でなくても、自然と熱狂している。(配当という利益が背景にあるわけだが)
一度応してみるとよく解るが、全く関係のないレースでも自分事のように楽しめる。これがお金をかければより深く熱狂できるのは想像に容易い。ルールがわからない、小難しい他のスポーツとの圧倒的な差である。
②奥深い
引用:https://www.pakutaso.com/
単純明快であるが故、奥が深いのも魅力である。一度馬券を買い、当ててみる。或いは外してみる。すると人は即座に次は(も)当てようと今度は意識的に思うものである。しかし、そこから競馬の沼は始まる。
単純に脚が早い馬が勝つなら、話しは早いが(陸上のボルトのように)そうでもない。ただ周回するだけのレースについて尋常じゃなく膨大なデータがあり、昨今ではAIも参入し、それでも的中率100%は実現しない(筈だ)。なぜ、ただ走るだけのレースがここまで難しいのか。
理由は様々だが、まず各競馬場のコースの長さや砂、芝の様子が異なる。あそこで速かった馬が、ここで早いとも限らない。それだけでなく、馬は組む騎手によっても変わる。さらに、騎手が背負う斤量、走る距離、その日の天候(馬場コンディション)、芝砂の差、その日の馬のコンディション、組み合わせ、枠順など挙げただけでも条件は多岐にわたり、これ以上に様々な条件が重なってレースは出来上がっている。
それを全て把握するだけでも一苦労な上、予想するとなると困難を極める。単純で入り込み安いのと裏腹に、単純故の複雑さが競馬にはあるのである。
これがサッカーや野球となると、複雑故におおよそその年度に強いクラブ、チームは決まってくる。多少の入れ換えはあっても、レアル・マドリードに浦和レッズが勝てると予想するフットボールファンはいない筈である。
③エキサイティングである
引用:https://www.pakutaso.com/
どんなスポーツにも言える要素であるが、競馬はとりわけエキサイティングである。体重500キロにもなる生き物が目前を車と同じスピードで駆け抜けていく。怒号が飛び交う中、その馬蹄が地面を叩く音が地鳴りのように響く。これは人間だけのスポーツには存在しない疾走感と、迫力である。
他のスポーツが迫力に劣るのではない。競馬はあらゆるスポーツにない、独特な迫力を持っているということである。そして、その唯一無二の迫力がたまらないのである。
④芸術的である
引用:https://www.pakutaso.com/
競馬の芸術性について「あー、サラブレッドの馬体のことね」と思った読者もいると思う。勿論、それも一つの芸術性であるがそんな稚拙なことを言うつもりはない。
競馬は観客側のもつ醍醐味は何はともあれ予想である。日本国内で予想できるスポーツはいくつかあるが、やはり基本はレーシングスポーツ、そしてその王様的立場にあるのが競馬である。ではその競馬の芸術性とはなにかといえばやはりレースなのである。
走る馬体も美しい、騎手の業も美しい、せめぎ合う思惑も美しい。しかし、我々は一生懸命予想をするのである。あぁでもない、こうでもない。苦しみながら、時には匙を投げたくなりながら予想をするのである。そして、予想をした先に、その脳内で繰り返し想定してきたレースが行われる。
大抵ははずれることだろう。しかし、思い描いた展開、推し馬が第三コーナーから伸びてきて、最後の直線をトップで駆け上がるその姿。ただでさえ美しい馬体と騎手の業が、苦しかった予想と共に現実になるのである。それを鑑賞するのである。
これ程に快感を得られる美しさは存在しない。競馬の芸術性は、予想の先にそれが合致したときに最大化するのである。
⑤ひとりで、どこでもできる手軽さ
引用:https://www.pakutaso.com/
スポーツ観戦にしろ、アイドルライブにしろ、グルメにしろ、大抵の趣味は場所や時間を選ぶ。しかし、競馬は違う。スマホと銀行口座さえ持っていればいつでもどこでも楽しめる。
競馬は土日だけというのは中央競馬の話で、日本には中央競馬以外に地方自治体の開催する地方競馬場が17ヵ所開催されており、ほぼ毎日やっていると思って良い。朝の時間帯と、深夜帯は流石にやっていないが、日中帯はいつでも楽しめる。
サッカーや野球はそうもいかない。サッカーの試合は数が少なくやってない日が多いし、野球もオフが長い。推しが活動してる時間も限られる。競馬はそんなことはない。いつでもやってる。
やってても、他のスポーツを一人で見にいくのは気が引けるものだ。でも競馬は一人のほうが都合が良かったりする。一人なら、いった先で、買いたいレースだけ買い、帰りたい時間に帰ることができる。勿論、誰かと楽しむこともできるが、予想は一人でもできるので(個人的には一人の方が落ち着く)一人のほうが都合が良かったりする。
また、一人でも楽しめる趣味は他にもある。しかし、音楽なら騒音、料理なら匂いが気になって場所を選ぶ。食べ歩きも、そうだ。競馬はそんなことがない。あえていうなら、スマホの電波が届かない場所で楽しめない。そうでなければ競馬はどこでも楽しめる。
競馬はそれでも不安。懸念に対する反論
①経済的問題、中毒性
引用:https://www.pakutaso.com/
競馬の最大の懸念はやはり経済問題と中毒性である。この問題はどちらもハナで笑いたいところである。ふたつを分けて考える。
まず経済的問題であるが、多くの趣味が競馬同様に経済的問題を抱えてる筈だ。アイドルの推し活、旅行、アニメ、グルメ、ファッション、映画あとなにがあるだろう。スポーツを見に行けば観戦費用はあるし、ライブもチケット代がある。競馬は入場料は100~200円、時には無料である。どんな趣味にも基本金はかかるのである。
勿論、図書館にいくとか、自宅でトレーニングをするとか昨今ではYouTubeをみるなど、時間的コストはかかるが経済をほぼ圧迫しない趣味もある。しかし、現代で労働をしている人間で、その趣味だけに没頭してる層は極少数だろう。大抵の人間が何かしら経済的負荷のかかる趣味をしている筈だ。競馬だけ言われる所以はない。
恐らくその原因はもう一つの問題、中毒性に対する懸念だろう。しかしこれもお笑いだ。
中毒は所謂依存である。依存はギャンブルに限らず、酒、タバコ、キャバクラ、ホスト、恋愛、宗教、マルチ商法、その他詐偽など多岐に渡る。
その殆どは(マルチや詐偽は別として)程ほどに楽しめば人生にとって良いサプリになる。心の癒しになる。極一部の人間が依存してしまい、抜けられなくなる。競馬も同じで依存になる人間は極一部で、殆どの人間はそんなことにはならない。
では、何故依存になるのかと言えば一時の快楽が忘れられないからである。何故それを求めるかと言えば、日常生活の不安である。その不安を解消するために、人は快楽を求める。
その不安を取り除けば人はタバコも酒もやめられると思っている。現に私は本職の介護で仕事上元依存者と会うことがあるが、身の回りの生活が保証された施設内で人はそういった依存から切り離される。
競馬は依存するから、危ないのではない。危ない状況で何か趣味をしてそこで快楽を得れば、アイドルでも、サッカーでもアニメでも依存することになり、身を滅ぼすのは一緒である。
②難しい
引用:https://www.pakutaso.com/
これは確かにある。記述のように競馬は単純でも、条件が多岐に渡る。それ故、ギャンブルが成立しており、楽しいのである。
それは人の価値観によるが、簡単な趣味に没頭できるだろうか。いくら突き詰めても終わりがない。それでも楽しいのが趣味じゃないだろうか。
釣りを始めた人が仮にすぐ釣れたらそれは楽しい。その後も次々に釣れる。もはやそれは作業である。漁師なら網や最新の機器を使って安定的に釣果が得られることが楽しいだろうが、釣りを趣味にしたらそれはつまらない。収益のない、労働に他ならない。(夕食になるだろうが、それなら金を出してスーパーにいく)
難しいからこそ、楽しめる。競馬の難しさを楽しむのである。
しかし、もう一度いう。これは価値観である。女友達を連れていったとき、その娘は難しくて当たらなくてブチ切れた。
③治安が悪い?
引用:https://www.pakutaso.com/
金が絡むせいか、競馬は治安が悪いという声も少なからずある。確かに正直汚ならしいおじさんとか、怒鳴り散らしている人とか、女の子もどこか性的な下品な格好をしていたりもする。(そうじゃない人も沢山いるが)
しかし、正直な話をすると、そうしたちと危なそうな人達が私達に絡んでくるというのはない。たまに予想をしてると話しかけてくるお爺さんとかいるが、それは予想を披露したり、世間話をしてくる程度で、喧嘩をうってくるような実害的なことはない。それは直線対決のギャンブルではないからだ。
カジノのように対人のギャンブルではそうした争いもあるかも知れない。またサッカーのようにサポーター同士が形として敵対してると、一部の勘違いした観客が一線をこえることもあるようだが、競馬にはそんな話をきかない。(あったら申し訳ない)
治安はあらゆるスポーツ観戦の中でトップクラスにいいといっていい筈だ。
(若い女の子だけで来場したならナンパくらいされるかもしれない。それについては把握困難なためご了承願いたい)
他にもある競馬の楽しみ方
個人的にはそこまで感じないが、他にも競馬にはいくつかの魅力があるので紹介する。
①写真
引用:https://www.pakutaso.com/
競馬場では当たり前だが一流の騎手と、美しいサラブレッドがいる。記述のように入場料は100~200円の格安で、一流のアスリートを間近で見ることができる。(武豊や川田、戸崎、ルメールも!)
写真愛好家にとっては最高の環境である。(勿論、これは多くの人が馬券を買うからではあるが)
②グルメが最高に旨い
引用:https://www.pakutaso.com/
これは一般の人に是非とも知ってほしいが、グルメが最高に旨い。私は東京、中山、南関四馬場(大井、船橋、川崎、浦和)ばかりしかいかないが、少なくともこの六つの馬場のグルメは最高である。
常設している店は勿論、イベント時は期間限定のキッチンカーなどもくる。
そもそもスポーツ競技場で食う飯は旨い。是非とも参戦し、どのメニューが旨いか探してみてほしい。
③グッズ購入
引用:https://www.pakutaso.com/
今はある程度ネットでも購入できるが、時々期間限定のグッズ販売があったりする。そういった時にレアグッズを求めて来場するのもありだろう。
まとめ
競馬は実に奥深く、誰でも簡単に楽しめるスポーツ芸術である。のめり込めばどこまでものめり込め、金銭を賭けることで自分事としてたのしむことができる。
適度に自分なりにルールを決めて、程よく楽しめばこれ程素晴らしい趣味はない。是非ともまだ触れたことのない皆さんも競馬を楽しんでみてください。